人生、道草食わなきゃ!
長らくお留守にしておりました。
多分、2か月ちょっとぐらいですね。
その間何をしていたのかというと、
・コピーライターの講座に通う。
・卒論の準備。
・色んな業種の短期のアルバイトをする。
・やるべきことに集中するために、
今までやっていたアルバイトを辞める。
とにかく、経験を重視した生活を送っていました。
世の中、知らないことだらけなのだなぁと改めて再実感。
あと、コピーライターのお仕事というものへの壁にぶつかっていました。
悩んでも悩んでも、
これじゃないなぁと。
平凡すぎるなぁと。
あっ、これだ!って思ってもらえないなぁと。
まぁ、そんな楽なわけありませんよね。
コピーライターになると張り切っていた自分自身に、
「甘くないんだゾ!」と一喝いれたいところです。
でも、一つだけ気づいたことがあります。
それは、モノをじっくりと観察する癖がついていることです。
「なんだそりゃ。」
と思われるかもしれませんが、
このじっくり観察って意外と難しいんです。
この講座に通うまで、自分自身の身の回りにどれほど多くの情報が転がっているのか意識していませんでした。
それは、私たちの生まれた時代が既に情報社会だったからで、その情報社会を生き抜くためには、取捨選択を必要とするためだったからだと思います。だから、目的とすること以外は見向きもしない生活に慣れきっていたんです。
だからこそ、もう一回新しい気持ちで身の回りの情報をみつめてみると、案外楽しいことや面白いことが、どこらかしこに転がっていることを再発見しました。
どれだけ、今までそんなモノを見逃しちゃったんだろうかななんて思いますが、それより今からですよ!
と、いうことで、人生経験ということで果樹園や冠婚葬祭関係のアルバイトに挑戦してみました。
食べ物のありがたみや、自然を感じること、人生とはということについて、考えるいいきっかけになったと思います。
学生生活もあと7か月。
もっと色んなことに挑戦します。
なんたって
「人生、道草食わなきゃ!」
ですから。
経験の分だけ、いろーんなことを感じたり考えたりすることができるようになって、心が満たされるのではないでしょうか?
私は、そう思ってます(^^)
※アップしますが、のちのち修正をいれると思います~。
ちょっと書き散らしている部分があるので(笑)
整腸活動
実は昨日から、ヨーグルトメインのプチ断食をしていました。
(↓こんなものです。)
今日のお昼までは順調だったのですが…
ヨーグルトだけの生活だと、思考力の低下が著しく2日目の昼でギブアップしちゃいました…。笑
ものを食べることの大切さを切に感じる体験ではあったのですが、自分自身にはあっていなかったようです。
そもそも、なぜこのプチ断食をしようかと考えたのかというと
とにかく消化器官の調子が悪いようだと感じたことがきっかけでした。
そこでプチ断食を実践しました!
途中で断念することになりましたが、プチ断食を通して感じたことをば。
1,普段の生活で必要以上に食べ過ぎている。
・・・昼食後のおやつ(?)にご飯を食べてしまい、回復食なんてものを
すっとばしてしまったわけですが、夕食を食べていて、いかに多くのもの
を普段から食べているのかということを実感しました。
毎食ヨーグルト約150gの生活だと、そう感じるのも無理はないですが、
ごはん一杯、おかずも15㎝ぐらいの皿に野菜と肉が程良く盛られていれば
それだけで十分だと思うようになりました。
食べるのが大好きなだけに、なんとも言えないのですが、
食べる量に今後は気を付けたいですね。
2,なんとなく腸の調子が良くなったような気がする。
・・・とにかく腸の活動が良くなりました。
腸が動いてるって感じることが多くなったんです。
色々と具体的にも書けるのですが、ご想像にお任せすることにします(笑)
3,不眠症が和らいだ。
・・・ここ最近、午前4時まで眠れない状態が続いていたのですが、
プチ断食をはじめて、午前1時ごろには眠れるようになりました。
原因はよく分かりませんが、プチ断食によって自立神経が整えられた
のではないかと思います。色んな記事を読んでの憶測ですがね。
4,とにかく思考力が落ちた。
・・・個人差があるとは思うのですが、私自身食べていないと思考できない人種
でありまして、そこだけはともかく辛かったです。
断念して、ご飯を食べてからは嘘のように頭が働き始めたので、
間違いないとは思います。
ざっとこんな感じでしょうか。
実体験におけるメリット・デメリットは人それぞれだとは思いますが、私はメリットが多かったかなと思います。なんとなくお腹もすっきりしたので!
またやるか、と言われると渋りますが、夜だけヨーグルト生活をやるという形にしてもいいかもしれないなとは思います。
食べない断食よりは、食べているけれども消化器官にお休み期間を設ける方法はとってもいいのではないかなとは思うのです。
ざっくばらんに感想を書いてみました。
オススメの整腸活動などありましたら、コメントしていただけると嬉しいです♪
ではでは、おやすみなさい!
Take it easy.
今週はいろんな企業さんの説明会に足を運んできました。
どこに行っても迷ってしまう、ぷかぷかと浮かんだ一週間がもう終わりそうです。
色んな話を聞いて、色んな人に出会って、
正直なところ、何もかも、誰もかもが魅力的に見えてきました。
良い所探し、楽しいですよね。
「あんなものいいなぁ」とか「あんな風に生きれたらいいなぁ」って、良い所を探す度に思います。
でも、それを自分自身の糧にしようっていう意思がそこにはあるんじゃないかって思うんです。
でも、実はコンプレックスの塊だったんです、私。
だから、何でもかんでも羨んで、何でもかんでも自己否定をしていました。
今は違うと断言できますよ、だって自分を人と比べたってしょうがないって悟りましたから(自分自身にだって良い所だっていくつはあるはず!笑)
だから、人と比べるんじゃなくて、人の良い所は取り入れるのが最良の手段だと思います。
だから、とにかくいいものに触れ続けると、キャパシティー以上に吸収しようとして疲れちゃうことだってありますが、その度に自身の吸収できる量は増えていっているという実感もあります。
でも、こんなことが出来るようになったのはいつからなのかなぁ、なんて考えてみると、時期は不明瞭…多分去年ぐらいからなんでしょうけどね。
多分、自分自身のプライドを捨てることを去年の一月ぐらいから徐々に出来るようになっていったからなのかなぁ。
捨てると言えども、もちろんプライドはありますよ。
ここで捨てるようになったのは、いらないプライドです。
それは、自分より年下の人に物事を教わったり、自分自身が受け入れられない主張を受け入れることを強要されたり、自分自身が出来ないってことを明らかに実感させられたり、体験の種類としては豊富なんです。
でも、それらの経験があったからこそ、いまの自分があるのかな、なんて思います。
過去のプライドがあった私 =完璧主義者
今のほどよいプライドを持つ私=楽観主義者
こんな風に例えることが出来ると思います。
楽観主義といえども、たまには完璧主義の血は騒ぎます。
(こだわり始めたら、ひたすらそのことに熱中しちゃうんです。笑)
でも、こんな楽観主義者になれたから、人生がものすごく気楽になりました。
辛いことなんていつか終わっちゃうんですもの。
だから、もし何かに苦しんでいる方がこの記事を読んでくださっているとしたら、伝えたいです。
「Take it easy!You are so beautiful!;)」
と。
なんでも気楽に構えましょう。
(もちろん、やるべきことはやらなければなりませんよ。)
そのままのあなたは、自分でいびつだと思っている部分があるとしても、その部分をひっくるめて、魅力的なあなたなんですから。
ちょっとだけ、大学の大好きな教授のお言葉もお借りしました。
「You are so beautiful!」の解釈の部分にちょっとだけ。笑
大学の授業が恋しいこの頃です。
それでは、よい時を。
読める と 読ませる
文章には
読める(読むことが出来る)文章と読ませる(自ずから読んでしまう)文章があるように、
最近は感じます。
自分自身の文章は前者なので、後者の文章を見るといつも憧憬の眼差しで見つめるばかりです。
多分、原因は日頃から言葉を綴る機会が少ないから。
そんな気がします。
この記事を読んでみてそのように思いました。
誰もが最初から何でもできるわけじゃないでしょうが、
ひたすら継続できる人こそがその道を極めることができる人なんじゃないのかな、と。
余談ですが、
“クリエイティブ”と“6つ”で検索エンジンにかけてみると、
なかなか面白そうな記事が多くありました。
興味のある方は、お試しあれ。
言葉に生きる
先日、コピーライターの講座に行ってきました。
そこで、ふつふつと湧いていた感情が沸点に達しました。
「コピーライタ―になろう」
と。
「一生生きていけるのか」、「生活が不安定なんじゃないのか」ということで、敬遠していた職業でもあり、名残惜しさのあまりずるずると色んな方面の広告会社さんの説明会に顔を出していた職業でもあったのですが、
もう決意しました。
就職活動を通して、「これは本当にやりたいことなのか?」と思いながら安定をもたらしてくれそうな企業にラブレターを書いてばかりいたのですが、どこもここも中途半端な結果に終わっていました。もちろん、発展途中の恋もありますが、、、
目移りしてばかりの恋なんて儚いものです。
唯一、大学入学から今に至るまで私の瞳を釘付けにしてくれていたのは、言葉なんです。
本命のあの子になかなか想いを伝えられなかったのは、自信がなかったからでしょう。実績も、センスも何もない自分にそんなことができるのか、と。
もちろん、それらも必要でしょうが、何よりも必要なのは努力なのかな、と思います。
だから、努力が出来ると思える、広告の職に就きたいです。
広告は卒論で扱うテーマでもあり、関連する書籍はなんでも読み漁ってきたものですので、自分にとっては愛着のある分野です。
というか、愛してます!
ブレブレの就職活動も、筋を通して推し進めていくことになりそうです。
これからは、広告に関する研究と卒論とアルバイト(資金が必要になったので…)の3本の軸を中心に生活しようと思います。
好きなことのために駆け抜ける所存であります。
以上、決意表明也。
人の幸せが蜜の味
縁の巡り合わせ
【縁】
1《(梵)pratyayaの訳》仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。
2 そのようになるめぐりあわせ。
3 関係を作るきっかけ。
4 血縁的、家族的なつながり。親子・夫婦などの関係。
5 人と人とのかかわりあい。また、物事とのかかわりあい。関係。
つくづく縁とは不思議なものだと思います。
昨日もご縁がありませんでした、との一報。
心の奥底が痛みました。なんでだろう。
最初はそんなに本気ではなかったけれども、好きだなと思っていたところだったので、やはりご縁がなかったのだと思います。
でも今回は落ち込んでばかりではありませんでした。
考えに考えてみました、他の人の情報を出来る限り集めました。
その結果、人間としての素質が不一致だったのかなと...
抽象的ですがね。
前々回の記事を読んでみて、今の自分に宛てられたかのような言葉が綴ってありました。ちょっと元気が出ました。
好きな人に振られるのと同じぐらい心が痛みました。
そこで好きになった人たちとの縁は、ここで終わりかもしれないからです。
もっと色んなことをお話してみたかったという思いは強かったし、親密になりたかったです。
これから先も、そんなご縁の途切れ目に遭遇すると思います。
その時は、また心に痛みを感じるに違いありません。
でも、次は必要以上に傷ついたりしません。
本当に、自分を必要としてくれる人たちと出会う時を待ちわびて、その人たちとの関係を過剰といってもいいくらいに大切にするパワーをためます。
だから、傷ついたりしないんです、そんなエネルギーは消費しないんです。
これも自分に言い聞かせる言葉です。
昨日の苦しみは、この数か月続いたご縁が途切れた悲しみが想像以上だったからなんだとお風呂の中でひらめきました。湯船は自分との対話に最適な場所です。
自分を守るための、小さな小さな心の御守りをここに記しておきます。
だれかの御守りにもなればいいなぁ。
明日もはりきっていくぞ!
みなみなさま、おやすみなさい。